25話 #nahive2qgpj02j4i

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ゆのっちとイワノフ

(これまでのあらすじ:おれもゆのっちのように美少女だったらなあ、と独り言ちるイワノフの前に、ゆのっち本人が現れた。)

「それじゃあこういうこと?」とゆのは芝居がかった調子で人差し指を口元にあて首をかしげて訊く、「つまりあなたは、あの建物には——ひだまり荘には、美少女ばかりが六人も住んでいるのだと思うの? そういうことがたとえ虚構の世界にでもあることなのだって?」

「はい」ただ私に言わせるならば五人ですが、と口を挟みたくなるのをこらえてイワノフは応えた、ミス・サエは彼にとって美少女という範疇になかったからだ、たとえそう感じられることがあったとしてもそれはミス・ヒロの放射する美少女らしさを映しただけのことにすぎないと彼は思っていた。しかしいま彼に語りかけているゆのの眼前でそのようなことを口にしてみろ、心優しい彼女のことだ、彼を怒るとか叱るだけならまだしも、心を痛め、強い悲しみに、姿を隠し、このまたとない機会をふいにすることになってしまうかもしれないのだ。イワノフは敢えてそれをしない程度には賢明だった。

 それよりも今は彼女の話だ。「何なのです、ゆの?」

「いま、私もまた美少女だと思う?」

「勿論です」

「ほんとうに?」と重ねて訊かれ、イワノフは考える……彼女がこういった訊ね方をするのならば、おれが何ごとかを期待されているのは間違いない。しかし何だというのだろう、ゆのが美少女であることは間違いようがないではないか、現にこうやって眼前に彼女が、おお、おお! イワノフはおののいた!

「ああ、ゆの! 私にはあなたの姿が見えません! いや、あなただけではない! 私には何も見えていない! 私の眼はいったいどうしてしまったのですか、ゆの!」

 じじつ、先ほどまで動くゆのが映っていたはずの受像機(これに向かってイワノフは偶像のように祈ったのだった)も、狭い部屋の殺風景な調度類も、自らの両手ですら、イワノフの両目は感じ取ることができない。

「私がやりました。『それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。』 」

 なんということだろう、おのが目で見るまで、見ようとするまではイワノフは彼女のことが見えていると思っていたというのに、今や彼は彼女を見てはいないのだ。ただ見えているということであったと思しき感覚のようなもので彼女が感じられるのみだった。しかしその感覚の鮮明さといったら、彼女のほほ笑む口許も、その身にまとう幸せの持つ重量感もみな分かるので、本当に目で見ているのだと勘違いしてもおかしくないほどだった!

「けれどあなたは最初から私の姿を見てなんかいなかったんだよ。すぐに私があなたの目を潰したんだから」

「たしかに私にはあなたが分かる、美少女たるあなたがここにいることが、分かります。しかし何故なのです。どうしてこのような仕打ちをなさるのですか」

 ゆのは少し体の力を抜いて、親しみやすげな表情をとった(と、少なくともイワノフにはそう感じられた)。

「私の外見的な、表層的な、皮相的な姿にあなたが惑わされないようにするためです。目にしてしまえばあなたは私を美少女だとは思わなくなってしまうだろうから。

「私たちがあんなにも激しく、時宜に応じてランダムに、物理法則を冒涜し、幾何学をあざ笑うように変形する理由が分かる?『フラットランドの住人が三次元世界の住人と交叉するとき、かれはそこに、時間とともに伸縮する線分(たち)を見、領域を見いだす』。けれどフラットランドの住人とは私たちのことではないのよ、それはあなたたちです。あなたたちは私たちの断面を見ている。いえ、精々、断面ほどしか見られていない。そして私がこうしてここにいることでそれが三次元的な断面になったとしても、それであなたは私を美少女だとは思わないでしょう、美少女的だと言うことはできるにしても。

「どうしてかって? それは、いまの私はあまりに物質的だから。あなたがあの四辺四角の窓から私たちの世界をのぞき、美少女だと思うとき、そこでは私たちは精神的に描かれているから」

 きっと現実の、現実に暮らし、現実の生活をやりくりし、現実的なサイズの脳しか持たない人間にゆのを直視することはできないのだ、そうすればきっと発狂してしまうのだとイワノフには察せられた。その程度の神話的な知識ならば彼は持ち合わせていた。そう了解するや思考は即座にそのことを取り扱うことを放棄し次の考えに至らせた:ではおれが見ていると思いこんでいる彼女をおれは本当に目で見ているわけではなかったのだ、目で見るように見ているわけではなかったのだ、長方形の平坦なあの切り口から、彼女の世界をそのまま覗いているわけではなかったのだ、むしろデザインされた視点、デザインされた断面から甘美な風景を眺めさせられていただけだったのた。では、おれはうその世界をあてがわれ満足していたのだろうか? うその世界をあてがわれて満足していたおれを誰かが陰であざ笑っていたのだろうか? そのようなはずはない、とイワノフは考えた。ゆのをそのように切り出すことにした、物語の王とでも呼ぶべき者が悪意を以てそうしたはずがない、なぜならそこに悪意があったと断じるにはその行為が投じた結果はあまりに美的にすぎたからだった。そのような審美眼を持つ人物が純粋に悪意を以て生み出した結果だと考えることは不可能だとイワノフには思われた。

 そうしてその美しさはどこからやってくるのか? イワノフのこの自問に対する答はまた自明でもあった。彼女自身がその物質的な現れに価値を置いていない以上、それは純粋にその内面にしかない。そしてイワノフが眺めていたのはある単純な瞬間における彼女(たち)の断面ではなく、その精神の三十分間ではなかっただろうか? 美少女であるということは状態ですらなく、そうする行為のことなのではないだろうか?

 となると、精神のはたらきだけが美少女を成すのだとするならば、自らの現実の、肉体の、牢獄、この重荷を呪う必要などないのではないだろうか? 明日からでも、いや、今この瞬間からでもイワノフが美少女となる、なろうとすることは可能なのではないだろうか? イワノフの心を覗き込むようにゆのが言う。

「あなたなら分かるでしょう、何があなたに必要だったのか」

 ええ、とイワノフは応えた、そして力強く、

「いつも心に美少女を!」とイワノフ。

「いつも心に美少女を!」とゆの

 (このくだりまで話し終えると彼はいつものように、集った聴衆の頭の裡に彼が最後に発した言葉が谺している音に耳をそばだてるように口をつぐみ、やがて、見ることはできない両目ながら、満足げな表情で聴衆を見渡すように顔を動かした。)ゆのはイワノフの視力を元通りにしようと提案することをもちろん忘れなかったが、しかしイワノフはその申し出を丁重に辞した。彼の言によればそれは彼女の「この世界に顕れた唯一のしるし」だったからだ。やがてその経緯を知る者たちには敬意を込めて「盲(めしい)のイワノフ」と呼ばれるようになる彼は、各地に散らばる聖地を巡礼し、その秘蹟を伝え歩くものとなった。

 そしてこれは異端に類するもの、たいていの人は聞けば冗談だと思って笑って深く考えないか顔をしかめて聞かなかったようなふりをするもので、ごく一部の人間だけが本当に信じているらしいのだが、一説によると彼はやはり視力を回復されることを望んだのだという。そしてこの説を唱えるものたちの言によると、彼はゆのの姿を直接目の当たりにし、発狂する寸前に自らの目を潰したのだということだ。いやいや彼女はほんとうに物質的にも美少女だったのだ、この世でもっとも美しいものを最後に目にして、彼はなんのためらいもなく視力に別れを告げたのだ、これ以上のものを見ることはもうなかったのだから、という手合いもいるのだが、いずれにしろ、光を失った彼がその後アニメを見ることはなくなったのだった。