25話 #nahive2qgpj02j4i

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アイドルマスター/老害の生活

アイドルマスターというモチーフに俺の青春らしきものが溶け出し、凝固して、アイドルマスターそのものが流れ去ってしまったあとも執拗く残りつづけているのだと思う。もう、今や、それがもともと何であったのかをはっきりと思い描くこともできず、幾つも浮かんでは消える彼女たちのエピソードを通じて現在からは昔のことを想像するしかないという点で神話のようになってしまっている。シンデレラガールズを忌避はしないけれど惹かれることもないのはただ自分が無意識に期待するものが得られないと思っているからだ、そう考えると俺にとってはやはりコンシューマ機でプレイしたアイドルマスターもやっぱり違ったのだと思う。美希はかろうじて歴史的記憶にあるものの、響も貴音も他人のように思えてしまうのは、そのとき、何かの美しい物語が俺の中で産まれる余地がなかったのだ、とはいえどの時のゲームもプレイすれば楽しかったし、折れた骨がふたたび継がれるくらいの喜びはあった。じゃあ何がなかったんだろう……ってまさかとは思うけれど実に初めて考えたような気さえするのだけど、何なのか。それは悲しみなのだった。

小金を払って銀の円盤を手にしたことでアイドルマスターの世界の論理はすべて手中におさまり失敗なんてものは(捉えようによっては)ないに等しいものになった。当然のことだ。そしてバックグラウンドにあるシステムを失った俺たちはメールすら同じ画面の中で受け取ることになった。アイドルマスターの世界は現実世界への侵食をとつぜん中断し撤退しはじめたのだ。人間たちの勝利だというわけだ。ふり返り何度も思うことになるがあの雨の夜の呼び出し、夏の朝のオーディション、現実世界への侵食こそアーケードの真骨頂のひとつだった。そしてその悲しみのために金を払っていたわけではないにせよ俺たちは互いを蹴散らし、潰しあい、時には協力しあってそれぞれ頂点への道を歩み、しかしその栄華も当然儚く、すべてが終わったあとには思い出にしかならない印字されたカードが手元にのこるだけ。それがそうデザインされたものだとか素晴しいものだとか言いはしないけれど、そうして俺のそのころの人生に深く絡みつき、かく作用したのだった。

だからといって現在の何を否定するわけでもなく、若い感性や柔軟な心には今まさにそれぞれのストーリーが生まれ現実のものとして固定化されていく。そういう風に楽しんだものが正義で、過去のことを思い出すだけの人間はただの老人として尊重されることなどなく置いてけぼりにされてゆく。この世界は年功序列ではない、内心の灰にしがみついているだけの人間が顧みられる道理もない。