幻の名店
「なあ、」
昼食に茹でてやった素麺をフォークで不器用にからめ取りながら、彼は深刻そうな様子でそう切り出した。箸の使い方も最近は上手になっていて、簡単なものならたどたどしくも箸を使って食事することができていたが、麺類にはまだフォークのほうが頼もしいようだった。こっちの方が直感的だろ、と言って彼はそれをくるくると回してみせた。
「君たちはセックスに対してオープンなのか?」
私は口に運んでいた箸の動きを止め、彼の顔を見つめた。彼は話しづらいことを口にするときの表情を見せながら、話を続ける。
「つまり、見たところこっちじゃあちこちに性サービス施設が点在しているようだけれど、それはどうしてなんだ?」
そう訊ねられて私は少し考えこんだ。彼が我が家を訪れて以来、いろいろな場所を見せてやろうと思って連れまわしてはいるが、そういった辺りに案内したことはないはずだ。文化のひとつではあるのだから本来ならば連れていってやってもよいようなものではあるが、彼が楽しめるとは考えづらかった。彼がひとりで出歩く機会もなかったはずだら、街中を歩いている最中に脇の路地を覗きこみでもしたのだろうか。そう訊ねかえすと彼は否定のしぐさを見せ、
「いや、違うんだ。けれど君の話を聞くと、やはりそういった施設の集まった一帯はやはりあるんだね。それなら理解できるんだ」
その言葉に私は首をかしげる。
「私の故郷にもあったよ。それは性を持つ生命が発達させた文明の宿命なのかもしれないね。しかしそれらは必ず一つ所に集合していたんだ。社会的な理由もあるだろうし(どうやら性のタブーは共通しているらしいし)、商業的な理由もあるだろう。私が不思議に思うのはその点だよ。なぜ孤立した性サービス施設があるのかが分からない」
分からないのはこちらも同じことだった。孤立した性風俗店など私は見たことがない。たいてい近くで同じような店が看板を掲げているものだ。それとも彼は知る人ぞ知る名店を目ざとく発見したとでもいうのだろうか? 私は詳しく話を聞いてみたくなった。
「人の往来のあるところでよく見かけた気がするな……」
灯台下暗しというやつだろうか? こんな所にはないだろうという先入観で案外人は見落としてしまうものだ。
「入り口はその往来に向かって開放されていたよ。みな好き好きに出入りしているようだった。それこそ老若男女さ。それが一番驚いたな」
そんなの、こちらだって驚きだ。万人がおおっぴらに出入りできる風俗店などあるはずがない。
「いや、確かに性サービスの施設だと思ったんだが……」
どうしてそう思うんだ、と訊ねると彼は、
「だって、君たちの言葉で『男』『女』と性別で分けて入り口が設けられていたぜ。性別で客を分けるなんて、性に関係する場所でしかしないだろう」
はあ、それはもしかして駅や公園で見かけなかったか、と訊ねると、
「ああ、公共施設に内包されていることが多かったな。もしかして行政の一環なのか」
私は脱力して、それはトイレだ、排泄のための場所だと言葉を返した。
「そんなのおかしいじゃないか。どうして排泄場所を性別で分ける必要があるんだ」
そりゃあそうだろう、性器を露出しなくちゃならんのだから、と答えようとして、私は彼が驚くのも無理はないと思った。おかしいのはむしろ私たちの方なのかもしれない。排泄器官と生殖器官がこんなに近くにあるだなんて。そうである必要なんてまったくないのに。彼の星ではこれらはまったく分離されているのだ。男女のサインだけで排泄の場所と見抜くのは無理な話なのだった。ふいに一言「失礼」と言うと、ベルケンプシシ星人は頭の後ろに位置する小さな管状器官から臭気ガスを噴出させ、名店は幻と消え去った。