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25話 #nahive2qgpj02j4i

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天使になった福田くん

 最近朝の電車で修学旅行の高校生と出くわす頻度が極めて高い。きのうは前方にやたらとやかましい集団がいて、まあ修学旅行は興奮するもんだし我慢できないほどではなかったんだけど(教師はアホだと思うが)、一方車両の後方にいた生徒集団はおとなしく、ほとんど喋ってもいなかった。あと前方は色黒が多かったのに較べ小太りメガネ率が高かったな。この二つの集団の制服が違っていたので、女子生徒のスカートの長さも引き比べつつ、これが学校の違いかー、程度の低い学校は恐ろしいと感じていたのだったが、途中の駅についたとき、その集団らが一緒くたになって降りているのを見て、ああ制服が違ったのは夏服冬服の違いだったのか……と知った。ホントかどうか分からんが衣替えのタイミングと生徒の態度に相関があるのなら面白い。

 そこで福田くんに出会ったのだった。福田くんってのは高校のときのクラスメートで、学年の途中で事故か病気かで声が出せなくなったやつである。もともと思い込みの激しいオタクとでも言えばいいのか、人好きのしない性格で友達も少なそうだった、クラスに何人かいた乱暴で我が物顔でふるまう連中によく小突かれていたが、そのたび止せばいいのに食ってかかるのでよく殴られたり蹴られたりフェイントをかけられて怯えかまえる姿を笑われたりしていた。ぶたれても学生服を叩いたような音がする程度だったので本気ではなかったろうけど、人が人に危害を加えようとする姿は恐ろしかった。福田くんはその喉の問題が出て以来ますます孤立していった。面白半分にいたぶられるようなことすらなくなっていた。そのうちいつの間にか転校してしまったんだが、その時はみんなようやく落ち着くべきところに落ち着いたとでもいうような態度で、何の驚きもなく受け入れていた。だからおれも、いつの間にか、としか覚えていない。

 おれは電車の中でポッドキャストを聴いてたんだが、途中の駅を出発してしばらくすると突然車内の高校生たちがざわめきだしたのに気づいた。それまでもそれぞれに騒がしかったのが、車両の後方のどこかを気にするような態度が見ていてなんとなく感じられた。静かだった側の高校生たちもそわそわとしたような何かに気づいたような態度で会話を交わしている。ヘッドフォンを外すとすぐに分かった。福田くんがいるのだ。あの高慢て独善的な弁舌、焦っているみたいに言葉をたたみかけるので何を言ってるのかよく聞き取れない喋り方、忘れもしない(いや、今思い出した)、福田くんのものだ。調子があの頃と一緒で、変わらないなー、と不快な感じを思い出して笑ってしまった。声を失ったのに喋れるカラクリもすぐに分かった。それで車内が彼の言葉に耳を傾けているのだ。彼の声は天使の声、初音ミクのそれだったからだ。

 福田くんは当時から初音ミクが大好きだった。クラスの女子にもボーカロイド好きはいたが彼らが交わることはもちろんなかった。福田くんは女子を毛嫌いしていたし、女子のほうでも願い下げだったろう。学年に何人か彼と情熱を同じくする人間がいたらしく休み時間に集まっては動画を流したり画像を見たりしているのを何度となく見かけた。そういうとき、福田くんはその面々のリーダー格なのらしかった。修学旅行に行ったとき福田くんの隣の班だったおれは(つまり、おれたちはどちらもクラスの下のほうの階層にいたのだ)同じ大部屋に寝ることになっていた。風呂に入り、布団を敷いて、寝るまでの自由時間に普段は教室でおとなしい皆がうかれ気分で珍しく騒ぎながらテレビを見ていたとき、福田くんひとりが輪を離れ、それこそ満を持してといった態度でバッグのジッパーを開き、中から取り出したのは、初音ミクの抱き枕カバーだった。中身ごと持ってこなかったのは賢明だと言えたが、抱き枕カバーに中身を詰めようとする福田くんの姿は異様だった。すぐに部屋にいた皆が彼の行動に気づき、注目を浴びていることに気づくと福田くんは満足げに頬を赤らめた。この部屋にいる皆は多かれ少なかれ彼には寛容な態度を取っていたが、このときばかりは呆気に取られていたと思う。福田くんがちらちらとおれたちの方を気にする様子を見るに、どうやら彼はこれを自慢するために持ってきたようだった。実際、ちゃんと広げて見てみれば思春期の男子がドキリとしてしまうような魅力的な絵ではあった(18歳未満の人間が買ってはいけない部類のものではなかった)ので、こういった類の品を買ったり所持したりする勇気のなかったおれには羨ましいとさえ感じられた。何人かとともに、彼の許しを得ておれもその絵に少し触らせてもらった。部屋にいた一人が面白がって彼と抱き枕とのツーショットの写真を撮り、他の部屋の生徒に送ったせいで瞬く間にこのことが広まって、クラスメートが連れ立っておれたちの部屋にどかどかとやってきた。部屋の入り口からこちらを覗いて福田くんを冷やかすのだが、おれたちには面白おかしい反応を返すこともできず、さっきまでテレビをみて雑談しながら楽しんでいた雰囲気もどこかに消えどこかおびえた態度で闖入者を見ているのでつまらなくなったのかすぐに帰ってしまうのだった。福田くんはそういった奴らをずっと睨みつけていた。やがてそのことが先生にばれ、何かしら理由をつけて、修学旅行のあいだ没収されることになった。福田くんは言葉少なに抵抗してみせたがはなから諦めてもいたようだった。煙草臭い教師の無骨な指に初音ミクが無造作に掴まれ消えてゆくのをおれたちは黙りきって見つめていた。この時撮影され、クラスを駆けめぐった写真はいまでもインターネットに出回っているらしい。

 福田くんは電車の中で背の高い、年下らしき男と話していた。彼が相手を自分より下に見られると確信していたときのいつもの態度のとおり、一方的に福田くんが喋るばかりで相手は無表情に頷いている。初音ミクの声色があたりに広がって消える。それじゃあ福田くんは機械の声帯を手に入れたのだ、とことんやる奴だ、そう感心していたら、目が合った。一度は気づかなかったのか目をそらされたが、もう一度目があって向こうも気づいたようだった。初音ミクの声がおれの名前を呼んだ。周囲の視線が興味なげにおれに向けられた。この場の責任はおれにあるといった風である。仕方なくおれは乗客たちの間に自然とできた隙間を縫って、ドア付近にいた福田くんと話せる距離まで近づいた。神のもとに行く気分だ。連れの男は福田くんの喋りが突然中断し知らない男が現れたことに戸惑っているようだった。福田くんが声を発する機構には興味を持っていたが一見しただけではよく分からなかった。彼の背負うリュックサックの中にノートパソコンが入っているのが覗けて、声もそこから出ているらしかったが、それが喉と直結しているようにも手元のスマートフォンで操作しているようにも見えた。

 いま仕事、なにやってるんだっけ? 福田くんはおもむろに言った。一音一音のつながりが流暢ではなく機械の音声であると感じさせるが、声に合わせて口をぱくぱくとさせているせいで彼自身が喋っているように見えるのは意外だった。そもそも福田くんとは高校以来であるし仕事の話をしたことなどないのに「だっけ」もない。連れの男は学生ふうであったので、その前で自分たちは社会人であるのだと示威しようとしているのだろうと思ったが、ともかくおれは、SEだよ、と答えてやった。彼はにやにやと笑って、そうか、デスマーチごくろうさんと言う。いまの職場でデスマーチなんかそうそうお目にかかれるものでもないのだが彼もネットかラノベか何かの知識で言ってるだけなのだろうから、深くは突っこまないことにした。それに、天使の声にねぎらわれるのに悪い気持ちはしなかった。それからひとしきりそんな創造的でない仕事してていいわけ、とか、おれは聞き上手だから何でも相談にのるよ、とか聞いてもないことを天使の声でべらべらと喋るのを黙って聞かされていた(その間に高校生たちは降りた)。記憶よりずっと饒舌になっていて、たぶんこいつは転校じゃなくて中退したのだな、それから人付き合いをどんどんなくしていったろう、この連れも彼が最近ようやく見つけた見下せる友人なんじゃないだろうか、と彼の言葉を聞き流しながら考えた。俺の降りる駅が近づいていた。彼はもっとクリエイティブなことをしたいと思って、感心なことに、再び学校に通っているらしい。去り際、何を目指してるんだ、と訊ねると福田くんは、声優と答えた。声優。チャレンジングな仕事だ。そうか、がんばれよ、それじゃ、と言って電車を降りると、背中から福田くんの言葉が聞こえた。まあお前もがんばれよ。おれは振り向かず、天使の声に押されるようにして歩き出した。